艺术与学术  
东方绘画的传统与理想 ——“近代日本画名家作品展”序
来源:中国工笔画学会  点击量:1426  时间:2019-10-18

东方绘画的传统与理想

——“近代日本画名家作品展”序

 

 

    2012年新春伊始,由中国友联画院与日中文化经济交流机构联合主办的“近代日本画名家作品展”,是纪念中日邦交正常化40周年的重要文化交流活动。展览荟萃了日本江户、明治、大正至昭和初期的土佐派、狩野派、南画文人画派、长崎派、圆山四条派等重要画派著名画家的作品,这些画家或为近代日本美术史上开宗立派的大家,或是有杰出成就的巨匠,更有在近代日本画发展历程中贡献卓著的一代名流。展览的作品包括人物、山水、花鸟、佛像等多种创作题材,及卷轴、册页、手卷、屏风等多种装裱形式。从这些空灵幽远、典雅隽永的水墨画风中,不难看出,日本画与中国画有着何等深厚的渊源关系! 从作品的创作题材、形式语言、笔墨技法、审美趣味,都可以看到古代中国画对日本画的深刻影响。同时也能看到中日两国在文化交流、融汇过程中的轨迹与文化渊源,及日本画家们在自己文化风土中的不断创造,并形成了日本画独特的神韵与风格。

    中日两国是一衣带水的邻邦,具有悠久的文化交流历史。早在奈良、平安时代,已形成“全盘接受唐代文化”(平山郁夫)的局面。宋元画风曾弥漫于室町时代。江户时期的重要画派都与中国绘画具有一定的血缘关系。当时还出现了以中国文人画为楷模的南画运动,不少中国画家到日本传授文人画技艺,产生了很大影响。在日本画家的审美意识中有对中国传统文化深深的崇敬与偏爱。中村不折认为“中国绘画是日本画的母体”;平山郁夫曾说“日本画的根在中国。中国绘画传到日本,经过长期演变生根开花,可以说没有中国传统绘画的影响,就不会形成日本特有的绘画风格。”虽然,南画文人水墨画在明治以后逐步衰落,但水墨文化的遗风依然反映在许多画家的作品中。即使在横山大观、竹内栖凤、川合玉堂、结城素明等新一代画家的作品中,仍不时表现出对传统艺术的深深迷恋。

    “东方的理想”是日本著名美术家冈仓天心针对明治时期日本美术的传统与发展,而提出的学术理念。他的名言:“亚洲乃一体……过去的影子预示着将来,任何树木不可能超越种子中所包含的力量。”曾获得东西方许多学者的认同。中日两国在近代以来均受到西方文化的猛烈冲击。在西方化的过程中,均已不同程度弱化了东方文化的优秀传统。从当代美术发展的角度看,如何开发东方文化深厚的精神资源和丰富的艺术形态资源,如何进一步发扬传统艺术中的活性因素,并使之内化为当代美术创作中的精神内核,转化为走向未来的内在驱动力,是值得中日两国艺术家深入思考的。这也是关乎新世纪东方文化发展的战略性问题。

    收藏在中国的近代日本画,是世界文化交流史上独特的文化现象。其数量之巨,质量之精,曾引起中日社会各界的广泛关注。近年来,日本的数位首相、国会议员、议长、大使等,曾亲临中国观看睿雅轩举办的日本艺术品专题展览。更有平山郁夫、加山又造等专家学者进行过专门的学术调查和研究。1994年,笔者曾与日本美术学者刘晓路、河野元昭(时任东京大学教授)及日本《美术年鉴》社的专家,赴天津、沈阳、大连、旅顺、丹东等地调查鉴定日本画。同年,由北京荣宝斋、辽宁省博物馆等机构在北京炎黄艺术馆联合举办“中国民间珍藏日本画鉴赏展”。铃木进(时任东京都庭院美术馆馆长)、清水治(时任东京美术俱乐部鉴定委员会理事长)、河锅楠美(时任河锅晓斋纪念美术馆馆长)等日本画专家参观了展览并参与学术研讨。近年来,著名日本美术史家神原吉郎、田岛达也(京都市立艺术大学美术学部教授)也对笔者梳理和鉴定近代日本画提供了很大的支持和帮助……所有这些,构成了本次展览的学术基础。应该有组织有计划地对中国收藏的日本画进行深入研究,进一步梳理中日文化交流的历史脉络,开发其潜在的历史文化价值。

温家宝总理说过“中日两国友好交往,历时之久、规模之大、影响之深,在世界文明发展史上是罕见的。这是中日两国共同拥有的历史传统和文明财富,值得倍加珍惜,代代相传,发扬光大”。我们希望通过此次展览,能够为中日观众提供一次重新认识和思考东方文化传统的机会,为中日文化交流打开新的视角,开拓新的领域。

王志纯

2012年1月28日于北京画院

 

 

東洋絵画の伝統と理想

——近代日本絵画名家作品展の序

2012年新春の侯、中国友誼画院と日中文化経済交流機関協同主催の「近代日本絵画名家作品展」は、中日国交回復40周年を記念するための重要な文化交流活動である。展示品は江戸から明治、大正、昭和初期までの土佐派、狩野派、南画、長崎派、円山四条派など影響力の持つ流派の有名な画家の作品を集めた。これらの画家は或いは近代日本美術史上で宗派を始めた大家であったり、或いは傑出な成果をあげた巨匠であったり、或は近代日本美術史上の卓越な貢献を成された一代の名流である。作品の主題は人物、山水、花鳥、仏画などと多岐に渡り、表装形式も多様であり、軸物、冊子、巻物、屏風などがある。これらの幽遠の趣に富む山水画作品から、日本絵画と中国絵画との深い関係が感じられる。古代中国絵画が題材、表現、筆法、美学的傾向などの面で日本絵画に深く投影していることが感じられると同時に、長い交流歴史の流れの中で、日本の画家が独自の風土の中で絶えずに創造し、日本絵画の独特な風韻と様式を形成されたことも分かる。

中日両国は一衣帯水の隣邦であり、古くから文化交流がなされてきた。日本は早くも奈良、平安時代において全面的に唐時代の文化を吸収していた(平山郁夫)。宋元の絵画が室町時代で大いに流行され、江戸時代になると重要な流派がほとんど中国絵画と一定の血縁関係を持っていた。当時、中国から日本に渡った画家が文人画の思想と技法を日本に伝え、南画の誕生を促した。江戸の画家たちが中国の伝統文化を愛好し、深く尊敬の意を持っていた。「中国絵画は日本絵画の母体である」と中村不折が考え、平山郁夫も次のように言われた。「日本画の根が中国にあります。中国絵画が日本に伝わり、その後日本に根ざし、華を咲かせました。中国伝統絵画の影響が無ければ日本独特の絵画様式も形成されていなかったと言えます。」明治以降、南画は次第に衰退したとはいえ、多くの画家の作品に水墨画の名残がなお見られる。横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、結城素明など新しい世代の画家もみんな伝統芸術に夢中であった。

「東方の理想」は岡倉天心が明治時代の日本美術の伝統と発展に応じて提出された理念である。彼はまたアジアは一つであると言い、過去の種が未来を暗示しており、どのような樹木でも種に含まれた力を超えることがないと言った。この観点は東西を問わず多くの学者に認められていた。近世以来、中日両国は共に西洋文化から強く衝撃を受け、西洋化される過程では、程度の差があるものの、東洋文化の優秀な伝統が弱った時期もあった。当代美術発展の視点からみれば、如何に伝統文化の精神的な資源と豊かな造形的な資源を生かし今日の発展に貢献するかは、中日両国の芸術家とっては真剣に考えるべきものである。これは新しい世紀における東洋文化の未来にかかわる重要な問題である。

 中国に流布されている近世の日本絵画は、世界文化交流史の上でも独特の文化現象である。量が膨大な上で、質も高くて両国において広く注目を集めてきた。ここ数年、日本の数人の首相、国会議員、議長、大使などが睿雅軒の中国で主催した日本芸術品特別展に親臨され、平山郁夫、加山又造などの専門家もまた学術的な調査を行われた。1994年筆者は日本美術史家の劉暁路、河野元昭(元東京大学教授)及び日本『美術年鑑』社の専門家たちとともに、天津、瀋陽、大連、旅順、丹東などの地域で日本絵画を調査した。同年、北京の栄宝斎と遼寧省博物館が共催した「中国民間に所蔵する日本画鑑賞展」が炎黄芸術館(北京)で開催された。鈴木進(当時は東京美術倶楽部鑑定委員会理事長であった)、河鍋楠美(当時は河鍋暁斎記念美術館の館長であった)など日本絵画の専門家が展覧会を観覧し、シンポジウムに参加された。ここ数年、近世絵画の専門家榊原吉郎、田島達也(京都市立芸術大学美術学部教授)も筆者の近世日本絵画研究に大いに協力して下さった。これらのすべてが今回の展覧会の学術的な基礎をなしたのである。しかし、中日両国の文化交流の流れを明らかにするために、また作品の歴史的文化価値をはっきりと認識するためにも、更なる計画的な研究が必要だと思われる。

「古くからの中日両国の友好関係は大規模なものであると同時に、影響力を深く持っており、世界の文明発展史上においてもまれに見るものである。これは中日両国の共同の歴史伝統と文化遺産である。大切にすべき、そして代々に伝わり、ますます盛んにすべきものである。」と温家宝総理は言われたことがある。今回の展覧会が中日両国の観衆に中日文化交流の新しい視点を提供し、東洋の伝統文化を改めて認識するチャンスになれば幸いに思う。

 

王志純

2012年1月28日 北京画院にて